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拓二どこにいるの?

 

クメール人との社交場。。。 

プノンペン最後の夜はいつも行ってる飲み屋さんで締めくくることに

俺らはお世話になっていたR君の行きつけの店でほぼ毎日!!(涙)飲み明かしていた。
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この店は昼の3時くらいから夜の22時まで開いていて、何と言っても最大の魅力が!!!!

生ビールが2000リエル、と言うことは日本円で約50円と言おどろきの安さなのである、

しかもグラスはキンキンに凍っているのだ~~~!!

カンボジアでそういう店は他には多分無い…と思う、一度ここでテンションが上がりすぎて

店のジョッキが無くなるまで飲んだこともある(笑)

ジョッキの横にクメール語で2000リエルと書かれている、店は何故かピンク色だが怪しくも何とも無い

いやいや本当に。
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店に居ると子供がチップスやウズラのゆで卵を売りに来る、一つ何十円なので頻繁に買っていると

どんどん懐いてきてしまう、仕舞いには俺らの顔を見るとすぐに近寄ってくる始末(笑)
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この女の子からはしょっちゅう買っていて、この日も俺らのおかげで完売して暇を持余している。
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それを店の女の子に見つかって無理やり眉毛を書かれている、サボってるからだ(笑)
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外国人なんか全く来ないこの店、もちろん日本人なんて俺らだけ、他は全てクメール人であふれるこの店

最初はあんまり絡んで来なかった女の子達も、さすがにこれだけ毎日通って飲んでいると

次第に仲良くなる、他のクメール人達も珍しいのでよく話してくるようになるのだが、一度だけ

軍人さんに絡まれたこともあった、あぁ危ね~(汗)その時は周りの人が仲裁に入ってくれて

無事に生還、いやいやホンマどないしようかと思ったわ(冷汗)まぁそんな事もあったが、それは

日本でも起こり得る事、気にしてなんか居られない、だって俺らはこの店が…大好きだから♪♪

この子達がこの店の女の子達で俺らとも仲がよくいつも絡んできていた子達だ。
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右の女の子に小銭が無いときに一度ウズラの卵を奢ってもらった、お礼に何かあげねばと

カバンを探す、するといつも肌身離さずに持っていたSイミーから旅に出る直前まで住んでいた東京から

実家である滋賀県に帰る際の帰りのバスに乗る直前に貰ったエバンソウコウがあるではないか!!!

それを彼女にあげてしまったのである!(ごめんSイミー)
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すると左の女の子も欲しいと言うので…もう一枚あげてしまった、その代わりに付けていたハイセンスの

ピアスを2つ奪い取り相棒としばらく付けていた、俺にはハイレベルすぎてアワセラレナイ(笑)
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こんなとこで2枚も真心をあげてしまった、でも綾波さんは守ったから大丈夫だよSイミー(苦笑)







この子は最初は居なかったが、最近になってよく見かけるようになった、年齢を聞くと17歳だって!

参っちゃうな~オジサンは、デヘヘ♪
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女の子達は英語が話せないが、この男の人たちは英語が話せる、彼らも非常に良くしてくれた。
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真ん中の人、この人は俺らが勝手ににボスと名付けて呼んでいた人、いつも愛想が良くて俺らとも

よく話していた人、何とも言えない見てくれで本当に愛くるしくて、ヌイグルミみたいだった(笑)
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プノンペン最後の夜は記念撮影、何故かみんな左を向いてしまっている!? 何でだろか?
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何があったのかはもう酔っ払っていて…記憶にございません♪ 

この日はみんなのテンションが特にR君のテンションも最高潮まで上がり、

俺らは次の日6時おきでベトナム入国なので2件で帰ろうと思っていたんだが、誰にもR君を

制止することが出来ずに結局3件ハシゴしてしまい、帰ったのが朝の5時…アホなん俺ら? 

最悪のコンディションで国境を越えましたよ、ホンマR君ちょっとやり過ぎなのでは?(笑)

でも最高に楽しかった、カンボジアでこんな状態(ヘベレケ)になれるとは思ってもいなかった

本当にThank you~R君♪、ありがとう~カンボジア♪、オークン~名前を知らない店の人達♪

ちなみにこの店で俺らが食っていた物
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左から時計回りに蛇・カエル(もちろん相棒はダメ)蟻・何かのサナギでした、蛇とカエル以外は

さすがに食えなかった昆虫だ~け~は~~ ご勘弁を~~。

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category: 俺@Cambodia

プノンペンの諸々。。。 

『島流しの島』R君が補足してくれました、そういう事が行われた島ということです

遠くカンボジアからどうもありがとうね~。

この写真たちはプノンペンの雑感と言うか、本当はもっと詳しくいろいろ書きたかったのだが

時間が無さ過ぎて書けなかったので少しずつを走り書きで載せます。

プノンペンに到着した日の夕方の空。いや~キレイですね、
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俺らが泊まっていたホテルの前にある自転車屋…多いわ(怒)
毎日朝から晩まで自転車の整備をしていた、カンボジアの人は本当に物を大事にする(感心)
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ホテルの近くにある食堂で日本食が食べられる。
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R君と飲んで2日酔いの日はここでそうめんを食べる、ツユも出汁からとっていて旨かった。
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街中にあるオルセイマーケット、電化製品・洋服・靴・食材・etcなんでも揃う
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中はこんな感じで店が並んでいる。
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美容室だってある充実さ
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靴もあるが売れ残っているのか…汚れている(笑)
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ある日俺が9年くらい使っていて、旅に行くときにはいつも一緒だったカバンのチャックが壊れてしまった、コイツを捨てることなんて俺には出来ない、でも大丈夫、ここに来ればもう安心、おじさんの手によって完全復活したのであった、これからも一緒だよマイバック♪
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何故か真っ裸の子供が!!カメラを向けるとテンション急上昇
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次はセントラルマーケット
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プノンペンには大きなマーケットがたくさんあり、買い物には全然困らない、ホント助かります~
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周りにも商店が所狭しと並んでいる
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中はこんな感じでかなり広い、ショーケースに貴金属?や宝石?がならんでいた
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山積みにされたシャツ…み・見難い(笑)
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誰が着るねん(怒)
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これは2人用のカラオケ…狭いわ(怒)
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この人たちは携帯電話を貸してくれる人、町中にいて、ただひたすら待っているだけ…動け(怒)
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最後はここ、泊まっていたホテルの近くのコーヒー屋さん
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正直カンボジアのコーヒーは…マズイ
しかしここで飲めるコーヒーはベトナムコーヒーでウマイ、コーヒーが好きな俺はちょこちょこ通った
しかしただウマイだけでは頻繁には来ない、なぜここに通ったかというと、このタバコの口紅の
主が気にいったからだ
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そしてこの口紅の主の正体は~~~~~~~~~~~ 
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この人だぁ~~~~
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このオバちゃんを最初に見たときからこの店の虜になってしまったのだ
店に入った瞬間に言った言葉が「オーマイガー」だって、なかなか聞けんでそんなん(笑)
しかも服装が毎日過激で、テロンテロンのシルクの服・ショッキングピンクの上下・
ラ○ボー顔負けの迷彩服・昔のジャ○ット・ジャクソン見たいな服、そりゃ~通うわ
仕舞いにはこの顔、これでコーヒーがウマイから最高のひと時を過ごせましたよホント
絶対にもう一度会いに行くから待っててね、眉毛とアイシャドーの隙間は空け気味にして(笑)

本当はもっと各写真を載せたかったのだが時間の都合により省略 あしからず。。。

category: 俺@Cambodia

島流しの島 

プノンペン観光もほとんど終えたある日、R君と一緒にポルポト時代に島流しが行われていたと言う

島に、俺らは向かうことにした、プノンペン市内からツクツクで1時間ちょっとのとこにその島はある

途中でタ・クマウ(黒おじさん)と言う町で昼食を取る。
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これがこの町のシンボルである黒おじさん
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何度も道に迷いながら、何度も人に道を尋ねながらツクツクは走っていく
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やっとの事で島にたどり着くことができた、島の名前はルブドウ島と言うのだがネットで調べても

情報がまったく出てこないので確かでとは言えない(すまん)
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上陸して最初に俺らを待っていたのが建てられたばかりっぽい教会だ
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次に待っているのがバナナ先生
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この島で生活している人もいるので、教会の横には学校があり、子供たちの遊ぶ遊具も設置されている
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犬に横目で歓迎?されて教会に近づいていくと
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看板を発見、このNPO団体がここを建設したみたいだ
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隣接している学校を覗くと子供たちが俺らに気が付き授業中にもかかわらずに近寄ってきてしまった。
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教室内には眠っている子供もいた(はみ出ている!が子供だからOK)
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子供たちが外へ出てきて、教室はもぬけの殻となってしまった(汗)
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教会の方はサンタクロース?が飾ってありこんな感じ
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子供たちに案内してもらい民家を通り、島の中を進んでいく
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ミサンガを編んで島に来る人達に販売している、これも大事な収入源となる
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案内の元にたどり着いた場所が、静かで緑が茂るこの一軒の家
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子供たちが『お化け屋敷』と呼んでいるこの家はポルポト時代に島流しにあった人達が殺さた後に

頭は家の中に山積みにされ、それ以外の部分は木が茂っている場所に埋められていたらしい

最近まであったらしいのだが今はもう跡形も無くなっている。
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トゥールスレイ以外にもこんな場所があったなんて…他にももっと知らないだけであるんだろうな

小屋を後にして船に戻ることに。

これは途中にあった井戸でユニセフが掘ったものだが、今はもう水は出てこなかった
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村の人が使っている石臼、この家で話を聞いたのだが、一体どれくらいの人が亡くなったのかも

何人が収容されていたのかも、詳しいことはわからなかった
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そんな事が行われていた島だが、子供たちを見ていると重い気持ちを吹き飛ばしてくれる
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子供たちに挨拶をして、船に乗り島を後にした。ゆっくりと進む船に揺られながら

いろいろ考えよう…と思っていたのだが、普通は待っているのだがなぜか着いてきたツクツクの運転手

コイツ完全に遊びに来ているようだ、船の上で裸になって頭から水を浴びて顔を洗っていやがる

仕舞にはこのポーズ、ふざけんなよテメー道に迷った挙句に昼飯まで奢らせやがって(怒)
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考える気も失っていくわ、と思いながら船は元の場所へ到着、すると船着場のおじさんが

向かいにある寺院も見て行けと言うので足を運ぶ
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実はこの寺院の中に、さっきの島ので見た家にあった骨が移されていたのであった!!

写真は載せられないがたくさんの骨が置かれていた…


重い文章ではペンを置けないので、最後は子供たちの笑顔で〆ます。
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category: 俺@Cambodia

プノンペン独立記念塔&スラム 

俺らはR君に聞きプノンペンにある強制退去予定地区であるスラム・プディングへと向かう
                           (↑名前を忘れたが多分あっていると思う)
ホテルからバサック河の方に向かってツクツクに乗り進んでいく、途中に見えてくるのは

フランスから完全に独立を勝ち取った記念に建設し、1954年に完成した独立記念塔です。
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周囲には緑が植えられていて、人々が遊べる公園のようになっています。
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その通りから少し入っていくと、わずか4Mほどの道を挟んでまったく違う2つの建物が見えてくる

左にはスラムのアパート、右には建設中のアパートが向かい合っていた。
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まだこのアパートでは多くの人が生活をしていた。
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この奥は空き地になっていた、昔に大きな火災があったらしい。
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噂によれば、政府が立ち退かない住民を強制的に追い出すために、火を放ったとも言われている

そんな空き地にブルーシートの小屋やバラック小屋(災害があった跡地に建てる仮設住宅)

で生活している人も大勢いた。
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リヤカーを引きゴミを集めて何とか生活している状況。
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おばさんに何をしてるのか聞くと、ドラム缶でトウモロコシを茹でていると教えてくれた。
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多くの子供たちもこの場所で生活をしている。
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この町は今、未曾有の建設ラッシュ、この周りには大きなホテルやアパートがどんどん建設されている

この囲まれた奥の空き地にもいずれは大きなビルか何かが建つのであろう。
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このスラムの周辺には日本食のレストランも多く見られる。
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もしこれが日本人の観光のために(日本人だけではないが)建てられたものならば

そのために住んでいた場所を、今までの生活を奪われた人達はいったい何を思うのであろうか?

今までのプノンペンと、これからのプノンペン、あまりにも違いすぎるこの町の2つの顔を

一度に見てしまったのである…

日本も昔はこうだったのだろうかと考えながらホテルに帰ったのでした。



これは関係ないけど、帰り道で見つけたミニチュアのアンコール・ワット
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category: 俺@Cambodia

takuji@クルサーリッリエイ② 

takuji@クルサーリッリエイ①の続き 

「~大雨~」

なんやかんやで子供にも慣れてきて、子供も慣れてきてくれるようになり

俺らも頻繁に顔を出すようになってきていたある日、雨季のこの時期特有のスコールが降ってきた。

家の中に入り雨宿りをしていたんだが、家の中は雨漏りがひどくて、水溜りになったりもした。

最近はあんまり雨が降っていなかったのだが、久しぶりの大雨、早く上がればいいのにと

思っていた時に、外を見ると子供たちが裸になって大ハシャギ!!
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↓↓↓小さい子はパンツまで脱いで真っ裸、気持ちよさそうに雨に打たれていた。



                  


                                     


そんな中、クルサーリッリエイの子供たちみんなのお母さんがバイクで帰ってきた、

お母さんはいつも俺らにニコッと微笑んでくれたり、

イスを用意して座らせてくれるやさしいお母さんだ、この日もニコッと挨拶をかわした。

するとそのまま、お母さんがビショビショになることなんか気にもしないで、

小さな子供たちを集めて、順番に石鹸で体をキレイに洗い始めた、その行動に

俺は正直ビックリしてしまった、雨で体を洗う!? 俺の中では信じられないとさえ思ってしまった…

でもこれって、今そこにあるものを最大限利用しているだけのことじゃないのか?

ビックリしている俺なんか気にせずに、お母さんは子供たちを洗っていく、その姿を見て

うまく言葉には出来ないが、俺は思わず感動してしまった。
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さらに子供たちは、お母さんのバイクを、みんなで集まり洗い始めた、

ボロボロのタオルと先が磨り減った歯ブラシで、小さな子供たちが小さな手で

ドシャ降りの雨の中で、楽しそうに笑いながら一生懸命に洗い上げた。
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この日このクルサーリッリエイの家族の絆というものを少し見れたような気がする、

本当にみんながみんなの為に、大きい子は小さい子の面倒をちゃんと見るし、小さい子は

大きい子の言うことをちゃんと聞く、そういった関係がちゃんと出来ていて、

お母さんを中心として、本当の家族なんだなって思えた。


「~学校~」
何度か通っている中で、俺らは何度か子供たちと一緒に勉強をした、したと言うよりも

俺らが日本語を教える立場に、いわゆる日本語の先生ってわけだ、もちろん難しいことを

教えるわけでもなく、俺でもなんとか?書ける「あ・い・う・え・お」の五十音の読み書きだ。

これなら俺でも自信を持って教えられる♪(←あたりまえ)

教室に入って、生徒(子供)の前に立ち、得意気に字を書かせている自分に酔いながら

子供からの英語による質問には困りながら授業を進めていく。(授業、生徒、先生だって俺が(笑))
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↓↓↓これが俺の生徒(笑)が書いた五十音、なかなかのもんでしょうが♪



ここの子達は英語も話せるし、日本語も話す子がたくさんいる、俺は日本語オンリーなのに(苦笑)

もっと勉強して出直さなければと密かに思った(笑)


↓↓↓これは、日本語の授業中にある女の子が描いた絵、この女の子はいつも同じ絵を描く。


多分左がお母さん、真ん中がクルサーリッリエイの家、右が花、下のは…わからない。

この絵をみて、俺はこの子がこの家とお母さんが大好きなんだなって感じた。

「~ありがとう~」

この日一人の男の子に会った、彼に「いくつ?」と聞くと「多分18歳です」と答えた

多分?彼は自分の年齢がいくつなのかがわからないらしい、そんな子がいるという現実を

身をもって初めて知った、その後も彼は日本語で一生懸命俺と話そうとしてくれた、俺も

彼と話したいので一生懸命に話を聞き、俺も出来るだけわかりやすいように日本語で話す

彼は絶えず笑顔で話してくれる、もう少し話したいが、ホテルに戻る時間が来たので別れを

告げると、彼は何度も「ここに来てくれてありがとう、本当にありがとう」と手を合わせて

言ってくれた、俺はここに来て、彼に「ありがとう」と言われることは何か出来たのだろうか?

彼はいったいどういった気持ちで「ありがとう」と言ったのだろう?変に勘ぐってしまう俺がいる(悲)

でも彼が「ありがとう」と言ってくれたのは、俺でも何か出来たからなのかもしれない。

彼の言葉は今もずっと心に残っている。俺は必ずもう一度ここに来て(もう少し英語の勉強をして)

彼らや子供たちと話をしよう、もっといろんなことを聞こう、今回感じた疑問や言葉に出来なかった

事をあらためて考えて出直してこよう。これがクルサーリッリエイで感じたこと、見たことでしたとさ。

↓↓↓クルサーリッリエイのアドレス
http://kruosarikriey.hp.infoseek.co.jp/

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